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この日本社会の日常は、善良な人たちによって支えられていて、当然問題などないと信じたい。が、実際のところはありえないことだらけ。

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正常性バイアスと日本人の政治的無関心:人口動態変化の陰で進む「静かなる危機」への警鐘

1. はじめに:見過ごされる「当たり前」の崩壊

日本の政治的無関心は、久しく指摘され続けている課題だ。低い投票率、特に若年層の政治離れは常態化し、社会の重要な意思決定プロセスへの国民の関与は希薄化している。しかし、この「慣れ親しんだ」無関心の背景で、日本社会は人口減少と外国人増加という、静かだが巨大な構造変化の途上にある。本稿は、この状況下で日本人の政治的無関心が「正常性バイアス」によっていかに強化され、将来的にどのようなリスクを生み出しうるのかを考察する。特に、現在の人口動態と移民政策の方向性が継続した場合、投票率が上がらないまま日本人が国内で相対的マイノリティとなり、その声が政治に届きにくくなるという可能性について、専門的知見やデータを基に警鐘を鳴らすことを目的とする。

2. 正常性バイアスとは何か:変化を拒む心のメカニズム

正常性バイアス(Normalcy Bias)とは、心理学、特に災害心理学の分野で指摘される認知バイアスの一種である。これは、予期しない危機や異常事態に直面した際に、「自分だけは大丈夫」「たいしたことはないだろう」「きっといつもの日常が続くはずだ」と事態を過小評価し、あるいは無視しようとする心の働きを指す。未知の脅威や急激な変化に対して、あえて「正常」の範囲内であると認識することで、心理的な安定を保とうとする防衛機制ともいえる。

例えば、地震や水害などの自然災害発生時、多くの人々がすぐに避難行動を取らず、「まだ大丈夫だろう」と様子を見てしまう現象は、正常性バイアスが一因とされている。このバイアスは、平時には精神的な安定をもたらす一方で、真に危険が迫っている際には迅速な対応を妨げ、被害を拡大させる要因となり得る。

この正常性バイアスは、政治や社会の緩やかな、しかし深刻な変化に対する人々の認識にも影響を与える。日々の生活に大きな変化がない限り、人口減少や国の財政問題、国際関係の変動といったマクロな問題は遠い世界の出来事として捉えられがちである。政治的無関心もまた、この正常性バイアスによって増幅される側面がある。「誰かがうまくやってくれるだろう」「今の生活が大きく変わるはずがない」といった思い込みが、社会が直面する課題への当事者意識を希薄にし、政治参加への意欲を削いでいく。

3. 日本における政治的無関心の現状と背景

日本の政治的無関心の深刻さは、各種データによって裏付けられている。

3.1. 低迷する投票率 日本の国政選挙における投票率は、長期的に低下傾向にある。例えば、衆議院議員総選挙の投票率は、戦後しばらくは70%台を維持していたが、近年は50%台で推移することが多く、2021年10月の選挙では55.93%であった。参議院議員通常選挙も同様の傾向で、2022年7月の選挙では52.05%となっている(総務省統計)。 特に深刻なのは若年層の投票率の低さである。2021年の衆議院選挙では、10代の投票率は43.01%(18歳45.81%、19歳39.88%)、20代は36.50%と、全年代平均を大きく下回っており、60代の71.42%とは対照的である。この世代間の投票率の差は、政策決定における世代間の意見の反映度に歪みを生じさせる要因となる。

3.2. 政治的無関心の要因 政治的無関心が蔓延する背景には、複合的な要因が存在する。

  • 政治不信・諦観:「自分の一票では何も変わらない」という政治的有効性感覚の低さや、政治家・政党への不信感が根強い。繰り返される政治スキャンダルや、期待した政策が実現しない経験は、諦めや無力感を助長する。
  • 政策の複雑化と争点の不明確化:現代社会の課題は複雑化しており、政策内容を理解し、争点を見極めることが難しくなっている。メディア報道も表層的な対立やスキャンダルに偏りがちで、本質的な政策論争が深まりにくい。
  • 生活への直接的影響の実感の薄さ:経済成長が停滞し、将来不安が指摘される中でも、多くの国民にとっては日々の生活が急激に悪化するという状況には至っていない。そのため、政治が自分の生活に直接的に影響を与えるという実感が持ちにくく、関心が向きにくい。これは、正常性バイアスの一形態とも言える。
  • 教育の問題:日本の学校教育における主権者教育は、いまだ十分とは言えない。政治の仕組みや制度に関する知識伝達に偏りがちで、社会の課題を主体的に考え、議論し、行動に繋げるための実践的な能力育成が不足しているとの指摘がある。
  • メディアの影響:テレビや新聞などの伝統的メディアの影響力低下と、インターネットやSNSの普及は、情報接触のあり方を大きく変えた。SNSでは個人の興味関心に最適化された情報が流通しやすく、多様な意見や社会全体の課題に触れる機会が減少する「フィルターバブル」や「エコーチェンバー」現象も指摘されており、政治的関心の幅を狭める可能性もある。

これらの要因が絡み合い、正常性バイアスと共振することで、「政治は自分とは関係ないもの」「現状が続くことが当たり前」という意識が固定化され、社会の構造変化への感度が鈍っていると考えられる。

4. 日本社会の構造変動:人口減少と多文化化の現実

日本社会は、歴史的とも言える大きな人口構造の変動期にある。

4.1. 深刻化する人口減少と少子高齢化 国立社会保障・人口問題研究所の『日本の将来推計人口(令和5年推計)』によれば、日本の総人口は2022年の1億2495万人から減少し続け、2056年には1億人を下回り、2070年には8700万人(2022年比で約30.3%減)になると推計されている。同時に高齢化も進行し、2070年の高齢化率(65歳以上人口割合)は38.7%に達すると予測されている。 この急激な人口減少と超高齢化は、労働力不足、社会保障制度の持続可能性の危機、地域社会の衰退、経済規模の縮小など、国家の存立基盤を揺るがす深刻な影響をもたらす。

4.2. 外国人居住者・労働者の増加 一方で、日本の外国人居住者・労働者は増加の一途を辿っている。出入国在留管理庁の統計によれば、2023年末時点での在留外国人数は約341万6千人と過去最高を更新した。これは、日本の総人口の約2.7%に相当する。特に、人手不足を背景とした特定技能や技能実習といった就労目的の在留資格を持つ外国人が増加しており、政府も外国人材の受け入れ拡大を政策として推進している。 今後、労働力確保の観点から、外国人受け入れはさらに加速する可能性が高い。これは、日本が実質的な「移民社会」へと移行しつつあることを意味する。

4.3. 帰化・移民の増加と有権者構成の変化の可能性 外国人居住者の増加に伴い、日本国籍を取得する「帰化者」も一定数存在する。法務省の統計によれば、年間の帰化許可者数は近年8千人から1万人程度で推移している。現在のところ、帰化者数が日本の有権者構成を劇的に変えるほどの規模ではない。しかし、長期的に外国人受け入れが進み、定住化する人々やその日本で生まれた子孫(日本国籍を取得する)が増加すれば、有権者の中に占める「元外国人」あるいは「外国にルーツを持つ日本人」の割合は徐々に上昇していくことが予想される。

直接的に「日本人が国内でマイノリティになる」という政府や公的機関による明確な推計は、現時点では存在しない。しかし、局所的に見れば、既に外国人住民が人口の1割を超える自治体(例:東京都新宿区、豊島区など)や、特定の国籍の住民が多数を占める地域(いわゆる「集住地域」)は存在する。将来、人口減少が著しい地方部や、外国人労働者に大きく依存する産業が集積する地域などでは、日本人住民の相対的割合が大きく低下し、一部では主流派、マジョリティと言えなくなる状況も、決して非現実的なシナリオとは言えない。

重要なのは、総人口に占める割合だけでなく、特定の年齢層や地域における人口構成の変化である。例えば、生産年齢人口において外国人労働者の比率が高まり、特定の地域社会において外国人住民がコミュニティの主要な担い手となりうる場合、その影響は無視できない。

5. 政治的無関心が招く未来:マイノリティ化する日本人の声?

こうした人口動態の大きな変化と、日本人の根強い政治的無関心が交差するとき、どのような未来が待ち受けているのだろうか。

5.1. 低投票率下での「声の格差」の拡大 現在の低い投票率、特に若年層や一部の現役世代の投票率が低いまま推移した場合、将来的に有権者構成が変化した際に、政治的意思決定の歪みがさらに拡大する可能性がある。 例えば、特定の政策課題に対して強い利害関係を持つ集団(それは必ずしも「外国人」に限らない)が、高い組織力や投票参加率を示した場合、その意見が相対的に政治に反映されやすくなる。一方で、政治に関心を持たず投票に行かない層の声は、たとえ人数が多くても政策決定の過程で軽視されがちになる。 日本国籍を取得した元外国人やその子孫が、自らの権利や生活基盤の安定、出身国の文化の尊重などを求める政治活動を活発化させ、高い投票率を示した場合、彼らの意見は政治において一定の影響力を持つようになる。これは民主主義社会において認められる当然の権利行使であり、それ自体を問題視することはできない。だからこそ、依然として日本人の多くが政治的無関心のままであれば、相対的にその声は小さくなり、政策の優先順位が変化していく可能性は充分にある。

5.2. 日本的価値観・文化の相対化と政策への影響 外国人材の増加と定住化は、日本社会の多文化化を加速させる。これは、多様な価値観や文化が共存するダイナミックな社会をもたらす一方で、従来「日本的」とされてきた価値観や慣習、社会システムとの間で摩擦や調整が必要となる場面も増えるだろう。 例えば、教育、宗教、労働慣行、地域社会のあり方などにおいて、多様な文化的背景を持つ住民のニーズをどのように政策に反映させていくかという課題が生じる。政治的無関層が多い状況では、こうした複雑な調整を要する課題に対する国民的議論が深まらず、一部の声や短期的な利害に基づいた決定がなされるリスクがある。 また、将来的に日本の人口構成における日本人の相対的多数性が低下した場合、国益の定義や、守るべき伝統・文化の範囲などについても、新たな議論湧き凝ることが予見される。つまり、日本においてこれまで日本的とされてきた文化や伝統を守ることが難しくなるかもしれない。その際、政治的関心を持ち、主体的に議論に参加する層とそうでない層の間で、未来像に関する認識の乖離が広がる可能性がある。

5.3. 正常性バイアスによる「静かなる危機」の看過 人口減少や外国人増加といった変化は、日々の生活の中では緩やかに進行するため、その深刻さや将来的な影響を実感しにくい。ここに正常性バイアスが作用すると、「まだ大丈夫だろう」「自分たちの世代は逃げ切れるかもしれない」といった楽観論や問題の先送りが蔓延し、必要な対策や社会変革への取り組みが遅れる。 日本人が将来的に国内で相対的な影響力を失うかもしれない、というシナリオは、多くの日本人にとっては心理的に受け入れがたいものであり、正常性バイアスによって「ありえないこと」として思考の外に追いやられやすい。しかし、目を逸らし続けることで、気づいた時には既に大きな変化が不可逆的に進行しており、対応が困難になっているという事態も危惧される。

6. 警鐘と提言:私たちに何ができるか

正常性バイアスに囚われ、政治的無関心のままでいれば、私たちは自らの未来を他者に委ね、静かにその影響力を失っていくリスクを、見過ごすことになる。この「静かなる危機」を乗り越え、より良い未来を築くためには、一人ひとりの意識と行動の変革が不可欠である。

6.1. 当事者意識の醸成と正常性バイアスからの脱却 まず、日本社会が直面する人口動態の変化という厳然たる事実を直視し、それが自身の生活や将来にどのような影響を与えうるのかを具体的に考える必要がある。メディアの情報を鵜呑みにせず、信頼できるデータや専門家の分析に触れ、自ら判断する姿勢が求められる。正常性バイアスを自覚し、変化に対する感度を高めることが第一歩となる。

6.2. 主権者教育の抜本的改革と生涯学習としての政治参加 学校教育における主権者教育は、単なる制度知識の習得に留まらず、社会課題の発見・分析、多様な意見の比較検討、合意形成のプロセス、そして具体的な社会参加の方法などを実践的に学ぶ機会を充実させるべきである。また、成人に対しても、政治や社会問題を学び続ける生涯学習の機会を提供し、市民の政治リテラシーを高める努力が必要である。制度知識の習得ができたうえで、実際の政治家のインセンティブを理解しなければ、

6.3. メディアリテラシーの向上と多角的な情報収集 現代は情報過多の時代であり、誤情報や偏った情報も少なくない。メディアの報道を批判的に吟味し、複数の情報源から多角的に情報を収集・分析するメディアリテラシーを身につけることが重要である。特に、アルゴリズムによって最適化された情報環境に閉じこもることなく、異なる意見や価値観に触れる意識的な努力が求められる。

6.4. 多様な背景を持つ人々との対話と共生社会の構築 外国人住民の増加は、避けることのできない現実である。排斥や分断ではなく、多様な文化的背景を持つ人々が互いの違いを尊重し合い、共に社会を築いていくという多文化共生の視点が不可欠となる。地域社会や職場において、積極的にコミュニケーションを図り、相互理解を深める努力が、将来の社会の安定にとって重要となる。

6.5. 積極的な政治参加と政策提言 投票は、民主主義社会における最も基本的な権利であり義務である。しかし、政治参加は投票だけに留まらない。政策に関する意見を表明する、政治家や政党と対話する、NPO/NGO活動や地域活動に参加する、あるいは自ら政治の担い手を目指すなど、多様な形での社会参画が考えられる。声を上げなければ、その意見は存在しないものとして扱われかねない。

7. 結論:未来への責任を自覚し、行動する時

日本社会は、人口減少と外国人増加という大きな構造変化の只中にあり、それは私たちの「当たり前」を静かに、しかし確実に変容させつつある。この変化に対し、多くの日本人が政治的無関心と正常性バイアスによって目を閉ざし続けるならば、将来、自らの声が届きにくい社会、あるいは意図せぬ方向に進む社会を現出させてしまうかもしれない。 それは、将来世代に対する責任の放棄にも繋がりかねない。

今こそ、一人ひとりがこの国の主権者としての自覚を持ち、社会の現状と未来に真摯に向き合い、主体的に関与していくことが求められている。関心を持つこと、学ぶこと、対話すること、そして行動すること。その小さな積み重ねが、正常性バイアスという見えない壁を打ち破り、日本の民主主義を再活性化させ、より良い未来を築くための確かな力となるだろう。警鐘は鳴らされた。あとは、私たちがどう応答するかにかかっている。

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